心とはなに?
心とは、ヒト特有の精神作用のことで、具体的には知性や感情、意志などを総合したもののことをいう。
知性はものごとを理解する能力、要するに考えたり判断したりといった高度な知的作業のことだ。感情は喜び、悲しみ、怒りなどの喜怒哀楽や快・不快のこと。意志はなにかをやろうとする意欲や考えのことだ。
まだ完全にその仕組みが解明されたわけではないものの、心は脳の活動によって生じると考えられている。
脳の中には約1千億以上もの神経細胞(ニューロン)のネットワークがはりめぐらされている。
目や耳など外部から受け取った情報は、電気信号として神経細胞内を伝わっていく。さらに神経細胞同士は、電気信号を化学信号に変換することで情報を伝えていく。
こうして神経細胞のネットワークを信号が伝わり、すでに脳の中に蓄えられている記憶と組み合わされることで、さまざまな精神活動である心が生まれると推測されている。
異性のことが好きになったり、フラれて悲しくなったり、落ち込んだりするのも、すべて脳の中の信号伝達によって生じているのである。
要するに、心は脳内のどの部分にどのような信号が伝わるかによって生じているといえる。
そして、この脳内の信号伝達に重要な役割を果たしているのが、神経伝達物質と呼ばれる化学物質なのだ。神経伝達物質の種類と量が心の状態を決めているのである。
心とはどこにあるのか?
心はどこにあるのか? 人々は古くからこの謎を追い求めてきた。
6千年前のエジプトでは、心は心臓にあると考えられていた。実際に恐怖や緊張を感じたときには心臓がドキドキする。
また「胸がはずむ」「胸が痛む」「胸をうつ」などの表現があることからも、昔の人々は心が心臓にあると考えていたことがわかる。英語でも心臓と心は同じ「ハート」だ。
4千年前のバビロニアでは、心は肝臓にあると思われていた。これも「肝がすわる」「肝が太い」などの表現や[腹がたつ]「腹黒い」といった表現からも、心が腹部にあると考えられていたことがわかる。
古代ギリシア時代になると、医学の祖であるヒポクラテスは、心は脳にあると考えた。これは現在の一般的な考え方と同じである。さらに哲学者のプラトンは、心は脳と脊髄にあるとした。知性や理性は脳に、欲望などは脊髄にあると考えたのだ。
しかし、プラトンの弟子であるアリストテレスは、ふたたび心は心臓にあるとした。
その後、ローマ時代になるとギリシアの医師ガレノスが、心は脳室にあると考えた。脳室とは脳の奥にある脊髄液で満たされた部分のことだ。この説は中世において長く信じられていた。
17世紀、哲学者のデカルトは、脳の中心部分、間脳にある松果体という器官が心の源であるとした。
そして、19世紀になると脳科学は飛躍的に発達し始め、心は脳の活動によるものであるという説が一般的になってきたのだ。